4話 日本アニメ黄金時代が果たしたこと
カテゴリー:瑠璃まつりの人々
あれはいつのことだろう。その日の天候やゲストの人数も、今となっては定かではない。もちろんみなさんの顔を思い出そうとても、それは到底、出来ない相談だ。しかしあのひとの輝く表情とその声だけははっきりと思い出されてくる。その日、彼は嬉しそうによく話してくれた。そう、紛れもなく彼は同世代のひとだったのだ。羊の絆だ。
「私たちはアニメと一緒に育った世代だよね、ガイドさん。」
確かに、そうだ。子供の時、いろんなアニメ作品が連日、テレビのゴールデンタイムにはラインナップされていた。運転から注意が逸れないようにしながらハイウエイの彼方に目を向けつつも、走馬灯のように記憶が煌き昇ってくる。
毎日と言っていいほどにゴールデンタイムの、夜7時からと7時半からは、必ず何かが放映されていた気がする。その時間枠は必ず、新作揃い。さらに、土曜日などは9時まで続いていたのではなかろうか。実写番組も交えはするが日曜日も同様、つまり新作の横溢だ。ただし、日曜は8時のオールスター家族対抗歌合戦でアニメ番組は打ち止めっであったことは明瞭に記憶している。そしてさらに、夕刻どきの5時から6時までは、再放送ものが、また、日曜の朝8時9時くらいにも何か再放送されていた。今思えば驚くべきアニメの放映頻度である。夏休みなど、学校が長期の休暇に入れば、待ってましたとばかり、劇場下りの長編アニメが全国網で流れた。そうだ、戦後の団塊世代の流れを汲んで、子供が多かった時代。そして日本は高度経済成長が続いていた。今思えば、良きにつけ悪しきにつけ、パワーのあった時代だ。
将来どんどんと発展することを、国全体で確信していた時代。
小学生時代といえば、はまさにそんな世相の真っ只中。多感な時。ハラハラドキドキ、手に汗を握って、画面に食いつくように見ていた。なぜだろうか。
学校ではいつも前夜放映された作品に関して話が盛り上がって、よくヒーローやヒロインの使う必殺技や魔法の真似をした。アニメヒーローが様々な形で商品化された。結果、新聞も、幼い頃からよく見ていた。もちろんテレビ欄だけだけれど。新作と旧作が大きなうねりとなって、日本中の子供達の魂を一斉に洗い続けていた。そこに描き出されている何かに、みんなが夢中に共鳴していたのだ。毎日1時間ほどの時間に、全国でどれだけの子供達が、同時に同じ思いに浸っていたのか、まさに驚くべき社会現象というべきである。
ヒーローやヒロインに自己同一化して、ともに泣き、怒りそして笑った。あんな風になりたいと、密かに願った。そして何より、観た後に胸がすっきりとした。必ずと言っていいほど、恵まれない背景を持つ主人公は、その悲しみを背負いながらも、
みんなの自由と幸せを守るために命がけで任務を遂行していた
そして
それが無性にカッコ良かった
さらにいつもそこには、世界支配を目論む悪の勢力の存在が描かれていた。今の時代においてアニメ大国といえば、やはり有無を言わさず日本だということはすでに世界が認めるところである。質と量のいずれでも、右に出る国はないだろう。アメリカに住んでいるとそれはよくわかる。特に質が超次元的に高い。しかし残念なことに、もうすでにオヤジになってしまったこともあってか、子供時代に夢中になったあの作品群から得たほどの感動は受けないのである。画質も動きもストーリー設定の緻密さにしても格段の飛躍が認められるものの、あの頃の興奮が目覚めない。そんなことを彼にほのめかすと
「それはガイドさんが、アニメで学んだことをすでに生きているからですよ」
という意外な答えが返ってきた。ただ単にオッサンになったからではなく、あくまで、ともにアニメに育てられたという軸が、ブレていない。大人になったからもうアニメに夢中になれないというような観念はもとよりこの人にはまるでない。
「ごめんなさい、ガイドさんこの人はアニメののこととなったらいつもこうなんです。ハイッしばらくだまりましょう。」
運転席の後ろで2つ年上だという奥さんが、優しく彼の手を握ったように思った。その日確か、ハワイにおける日系人の歴史の話から連動して、戦後のアメリカをはじめとする連合国側から日本が受け続けた洗脳政策のことに言及したはずである。というのも、また彼が、その笑顔で話してくれたことが思い出されるからた。
19世紀、西洋帝国主義の列強国が、次第に日本に力づくで迫り、同時に日本のことを知るようになってきた。その時系軸上に、日清、日露、第一次世界大戦そして第二次世界大戦が刻まれ、ますます、ちっぽけな日本という国に宿る、得体の知れぬ底力が、顕になってゆく。これを恐怖する支配勢力は、その封印の必要に迫られた。徹底研究の結果、その力の由縁を、その長い歴史と海に守られた島国という環境が作り上げたという独特の精神性に認め、これを解体するこに専心した。この理解は間違ってはいないと思う。しかし、その独自の精神性とは、すばり血だ。遺伝子コードだ。またどこかで書こうと思う。
「日本が日本でなくなってゆくその狭間で、僕たちは無形の遺産を受け継いだのですよ。アニメを通してね。」
この人は、面白いことを言う。こんな視点から今までアニメを評価したことはなかった。しかし、とても興味が湧いた。すごく湧いた。
「みなさん、これからアニメのコーナーにしてもよろしいですか。お詫びに、アニメソングを貴方のためにお歌いいたします。ご希望どおり、オープニングソングでもエンデイングソングでも応対いたしましょう。ただし、1974年のアルプスの少女ハイジから1986年まで放映された、ドクタースランプアラレちゃんまでの間の作品群。さあドンと来い。と言ってもお若い人たちにはさっぱりわからんって言う感じかな。」
しかし出た。さっそくリクエスト。エースをねらえ!オープニングか、エンデイングかを尋ねると、その女性は迷った末に前者をご指定。とっさに声が出る。
コートでは、
誰でもひとり、ひとりきり
私の愛も、私の苦しみも
誰も分かってくれない。
煌く風が走る、
太陽が燃える。
唇にバラの花びら
私は飛ぼう
白いボールになって。
サーブ、スマッシュ、ボレー
ベストを尽くせ。エース、エース、エース、
エースをねらえ!
大拍手。歌いながら鳥肌がったった。歌える。なんと40年たっていてもすぐ歌える。さすがに興奮した。興奮するんだと驚いた。そこで、エンディングを歌わせてもらうことにした。歌わずにはいられない。しかし、できるかな。
夕暮れのテニスコートで
折れたかわいそうなラケットを見たわ
夜更けのテニスコートで
いつまでも泣いていた女の子を見たわ
涙が書いたイニシャルは
H 、H、 H.O
燃え上がる恋も
燃え上がる明日も
白いテニスコートに
白いテニスコートに
ああテニスコートに
出来た。目がうるむ、涙が溢れる、前が見えない、危ない、また鳥肌がざわめく。しかし車中は拍手喝采となる。早速、お次のリクエスト。銀河鉄道999のエンデイングソング。
目を閉じて思い出す
母さんの面影
遠く離れた
青い地球よ
安らかに眠れ
メーテル
またひとつ星が消えるよ
赤く赤く燃えて
銀河を流れるように
銀河を流れるように
彼も途中で加わってきた。さすが、昭和42年羊の同志。ドンピシャキューだ。調子が出てきたぞ、すでに全開、ツアー車両はハワイ島アニメジュークボックス内蔵バンと化している。本気だ。さあ、次っ、次は何ダァ。
「未来少年コナンのオープニング、お願いします!」
彼をルームミラーで捉え、お互い見に笑いを浮かべて、さあ一緒に。
海は青く眠り
大地に緑芽生え
そして空が
そして空が
明日を夢見て、ほら
生まれ変わった地球が
目覚めの朝を迎える
泳げ、波けたて
走れ土を蹴り
こんなに地球が好きだから
こんなに夜明けが美しいから
歌え、声合わせ
踊れ、肩を組み
こんなに地球が好きだから
こんなに夜明けが美しいから
実は今これを綴りながらでも目が潤んでいるよ。いい詩だ。いずれも大変、いい詩だと思う。ああ、涙が一つ溢れた。
みんな明るく、力一杯生きている、いや生きようとしている
そしてその喜びが画面いっぱいに溢れている
かなりの感動が、じんじんと全身に響くので、興醒めてはと、歌のコーナーは終了して、ここで彼のアニメ観を手短にご披露いただくことにしたわけである。
「アニメはあくまで架空の絵の世界です。だから余計にメッセージがピユアに表現できますよね。素晴らしい媒体ですよ。絵と言葉と音楽と。これは総合芸術なんです。芸術の最高形態ですよ。」
この人なかなか言ってくれる。
「そして、そこに不思議なメッセージが籠るんでるよね。アニメ制作は多くの人の共同分担作業の結実ですから、独りよがりの偏見に陥りません。みんなが力を合わせるところに何かが自然と現れるんですよ。多くの人が必要としている何かが。」
さすが、語るなぁ。
「私たちがアニメに夢中になっていた時代は、ガイドさんがおっしゃったように、日本人ががどんどんと日本人であることを忘れてゆく、予兆の時代。そこで、将来、大きく日本が変わってしまったと人々が気づく時代に、社会を支える世代の私たちへ、アニメという媒体でしっかりと、太古からの精神遺産は吹き込まれいたんです。。戦後、日本は戦争犯罪国などと洗脳教育され、戦争は悪と教えられてきましたが、
人の自由と平和を奪うことが悪であって、
我らがヒーローたちはやはり、それを守るために命をかけて戦い続けてきましたからね。ネット時代になってようやく戦後の洗脳を解くこともできるようになりました。これもあくまで、ひとりひとりの自由ですが。」
その後もしばらく話は続いた気がする。そう、今思い出したことだが、1日かけて、600キロのコースを巡って来たツアーの終盤、みなさんをそれぞれのホテルにお下ろししてゆく頃合いとなってきた時、いつものことだが、この頃になると、長い1日の行程の疲れにもかかわらず、本音を語り始める人も出てくる。そう、確か一人でツアーに参加していたお若い女性で、助手席に座ったいた人が訪ねた。
「スバリ、そのメッセージって何ですか。」
彼は言ってのけた、その答えが、やはり素晴らしく、今も心に。
「愛と勇気と冒険です」
いよいよ彼ともお別れとなった。ワイコロアのヒルトンホテルだったと思う。奥さんはその日1日の喜ばしい感想を、伝えてくださり、こちらからも、ツアーづくりへの大きな貢献のお礼を申し上げて、今一度、彼の方を向いて見つめ合った。すると、質問に答えて欲しいと言われた。もちろんと承諾すると、
「バカボンのパパには何本髭がありましたか。」
「7本。」
これは、いつも天才バカボンのオープニングで、パパのかをが、バーカ、ボン、ボン!と拡大されると、花と髭だけがクローズアップするので、知っていた。ところで、原作者の赤塚不二夫さんは、まさに天才だと思う。秀でた作家さんというものは、創作中に先ほども書いた、得体の知れぬもの、につながる資質を持っていたり、そのコツを体得していたりするものだ。英語でVagabondとは放浪者、遊行生活者を現し、サンスクリット語ではバガヴァーンとはブッダなどの尊称である世尊、あるいは、中村元さんの本には、バガ梵天といわれる神とブッダとの対話が、訳されているし、何より驚きは、あのいつもほうきで道を掃いているレレレのおじさん。ハワイ語でレレとは、同じ動きが繰り返されることをあわわす言葉。大きな体をしたハワイ人が、ポルトガル人が伝えたという当時改良され、携帯に便利になった小型のギターを奏でる右手が、ペックの無かった時代なので、指を細やかに動かしていたその様が、丁度のみが足をちょこちょこさせているように思われて、のみがウクで足をレレしているということ。つまりウクレレとなったらしい。そんなことを赤塚不二夫さんが知っていたかどうかは分からないが、驚きを禁じ得ない。
「デビルマンが人間の姿の時の名前は?」
「フドウアキラ」
今思えばこれは不動明王からの命名だろう。永井豪さんすごい。デビルマンという物語自体が、そういう異界との接点を舞台にしている。ただものではない。こういう着想をヒントにした後世の作品は多いと思う。彼はマジンガーZシリーズや、あのキューティーハニーの原作者でもある。当時、子供だったので、作品の背景や作家のことなど全く無関心だったが、今こうして考えてみると、いろいろと驚くことが多い。となれば大御所として、手塚治虫さんを忘れることはできないだろう。時代的にちょっと前にずれるが、鉄腕アトムやジャングル大帝、リボンの騎士や不思議のメルモちゃん、ワンワン大行進や悟空の大冒険など再放送で何度も飽きずに見ていた。その後に登場した宮崎駿さんが海外で 今やMaster of Animeと呼ばれているのに対し、手塚治虫さんは God Father of Mangaと言われている。手塚さんの偉業をここで綴る必要は、さらさらない。
「最後に、ルパン三世カリオストロの城に出てきたあの可憐なお嬢様の名前は?」
これは意外なところを疲れたと思った。カリ城は確か劇場公開された作品だ。あの不朽の名作、宇宙戦艦ヤマトが全国を一世風靡した後だったと思う。ちなみにこれも宮崎駿さんが関わっている。さて、胸に問うてみた。
ぽっと、浮かぶ。
「クラリス!」