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公開日:2020年5月29日
最終更新日:2020年6月11日

ツアーの前日に某エージェントから連絡が入った。

「明日ご参加なさいます、美津葉さま(仮名)は、実は某将軍の末裔のお方でございまして、くれぐれもよろしくお願いいたします。」

あの将軍の末裔。なるほど、よろしくお願いいたしますとは、つつがなく、粗相のないようにという意にとれる。もちろん長年のお付き合いである某エージェントさんなので、安心は当然してくれているはずだが、さらに念を押してくるところを見れば、やはりただものではあるまい。心してツアーに臨まねばなるまい。お客をなめてかかると、その見返りはとても恥ずべきものとなるのだ。お客はいかなる時でもいかなる人でもそれは神様としてお仕えしなければならない。それは日本固有の鉄則である。

お客様は神様です。神様にお仕えする事がお仕事です。

さて、いよいよ本番。10名の参加者の中で、予定表を見れば、美津葉さんは3名での参加となり、ホテルはマウナベイ。葵さんとなっているので女性なのかとも思いながら、先の7名のお迎えを終えて、そのホテルロビーへとツアー車両を回した。3名の日本人がサッとベンチから立ち上がって笑顔を見せる。3名とも女性であった。

こちらも早速笑顔で応えてツアーバンの中へと案内、これで全員集合。いよいよツアー開始。

予めのエージェントからの特待願いを受けていたからと言って、えこひいきは当ツアーには含まれていない。しかし美津葉さんの素性などには一切触れないようにする事だけは決めていた。そういえば、その某エージェントからは以前、某政治家の息子さんたちを預ったこともあった。またそれについて書くこともあるかもしれない。

いつも通り島を巡りながらツアーは進行してゆく。しかしその日はガイドと参加者たちの一体感と明るさが、通常と比べ物にならないほど高いことに気づく。さらにそれは、ガイドの気遣いによって導き出されたものではない、そう美津葉さんの存在が大きな原因である。

彼女たちは、最後列に座っていた。かしましい娘たちという具合では全くないが、終始楽しそうだ。葵さんとその友人だそうだが、智美さんと静香さんと言うその2人の年齢はおそらく60前後と思われる。という事は圧倒的に存在感もあり、三人娘の長女の風格を備えた葵さんはやはり60歳よりはもとらないはずだが、むしろ三女のような若々しさが輝いている。不躾に年齢を尋ねるわけにもいかず、そのあたりの詮索は保留にした。それにしてもその日はよくお菓子や飴が車内に配られ、ガイドにも当然回ってくる。葵チームからの不定期連載的な差し入れだ。それがまたなかなかの一品揃いで、聞けば旅行の前に三越の食品フロアで買い揃えてきたというのだ。そしてツアーを共にする人たちに惜しげも無く分かちう。昼間から夜のお菓子、うなぎパイ、札幌銘菓白い恋人、京都の八橋もあった。あるいはぬれ煎餅や芽わかめなどとにかく枚挙にいとまがない。ビッグアイランドキャンディーではわざわざブラウニーの詰め合わせセットをツアー全体のために買ってきてくれたりもした。

葵さんは軽快に歩く。ハワイ島各地の名勝を散策して回るが、ガイドの案内によって何を聞いても何を見ても嬉しそうで、興味津々という具合。いつの頃からか「青い天使」と呼ぶようになった。他のお客ももちろん「葵さん」と気軽に呼び、親しげによく会話をしていた。この人には屈託がない。そして何より明らかに輝いている。

人はたいてい光のもとに集まりたい。方や闇を好む人もいるだろう。と言うより人は誰でも心に闇を持っているものだ。このガイドはよく闇にとらわれて苦しくなる。光として仕事をしてゆかねばならぬという使命感もある。光と闇は表裏一体にも思える。だから、どんな素晴らしい人でも必ず闇を持ち、またそれをなんとか光に変えてゆこうとする努力こそに周りの人たちは感動し美しきを見る。しかし葵さんを知る人はおそらくそうは思わなくなるのではなかろうか。この人にはそういう葛藤の痕跡や香りというものがまるでない。思い切っていえばそういった次元を超えてしまったようで、もっといえば、死んで昇天してしまっているかのようだ。

けだし「青い天使」は適語であった。ガイド自身の内にもいつもと違った、ウキウキとした気持ちが弾んでいる。青き天使の光はすごい。その光で闇は消える。次第に、葵さんのその光の正体を突き止めたくなってきた。彼女の素性には触れぬという鉄則を冒さずになんとか光のコアに飛び込んでみたくなった。

「さあ、女神ペレの宿りたまう、キラウエアを後に今度は一路、プナルウ黒砂海岸へ向かいます。これからは、島の南部へ向けて不毛地帯の疾走ということになり、ガイドが最も苦心する時間。つまり、そろそろ睡魔の攻撃を受けるかもしれないという事でございますね。それはなんとしてでも避けなければならない!そこで皆さんのご協力が必要となります。

質問コーナー!!

皆さんからの、ご質問、なんでもよろしいですぞ、ジャンルは不問。御興味本位大歓迎。ハワイに関する事、ガイドのプライベートのこと、高尚、淫乱、公私混同、なんでもドンと来いです!」

お客方もキラウエアを後にする、この頃となるとちょうど、早朝からの疲れがどっと出てくるようで、車中の居眠りが激増する。またこれが、ひとりふたりならまだしも、多勢のまどろみとなればかなりの感染力をこのガイドにも及ぼしかねないという懸念がある。その予防措置としての質問コーナーはまた、思い思いにお客がその心の内を打ち明けやすくなっている時間帯でもあった。

「ハーイ」

さっそく手が上がった。葵さんである。火山を訪れる前、ヒロで席替えをする事になっているが、ツアー前半最後列に座ったいた三人娘はその後、最前列、つまりガイドのすぐ後ろの席へと移っている。

「それでは、葵殿、どうぞ」

という事で、運転中は、ルームミラーを覗いて美津葉さんに微笑んだ。

「ガイドさんはどうしてハワイ島に住むようになったのでしょうか?20歳で京都を出てからの経緯をぜひ、きかせてくださーい!」

という事で、快くそのお答えをした。しかし気をつけないと、またうっかり調子にのって枝葉末節に這い入ってしまうと収集のつかないどてらい長編談話となりかねないので、さらっとしかし偽りなき魂の遍歴や罪深い所業も吐露しながら、京都、北海道、東京、清里、パリ、ニューヨーク、ニューハンプシャー、コロラド、ハワイ島ヒロ、コナ、コハラ、カワイハエ、ワイメアと、恥も外聞も臆面もなくその珍道中をご披露した。

「わーっおもしろ~い!」

と葵さんはじめお客方は満場の拍手で話を楽しんでくれた事を伝えてくれた。というより彼女の一声一声が社中の雰囲気やガイドの話の方向性に大きな影響力を揮っているのだ。さすが、天下統一の覇権の血脈あるいは青い天使の光はかくも偉大なものである、というわけか。

今だ、と思った。切り返してポンと聞いてみよう。もちろん将軍のことではない、その光のわけについて。

「ひとつ葵さんにも質問があるのですが、お聞きしてもいいでしょうか?」

「はーい、なんでもどうぞ!」

結局、彼女の光には、ツアー参加者の全てが聞き入る背景があったのだ。以下その内容を綴っておく。

45歳。葵さんは肺癌の末期宣告を受けた。余命3ヶ月。目の前が真っ暗になった。どうしていいか、何を考えたらいいか全くわからない。ただ、大きな衝撃がいてつく夜の氷柱となって心にぶら下がっているような感じのままで帰宅、数時間ひとりで放心状態。やがて、いつ、どのようにご主人にその事を伝えようかと思い始めた。間違いなく大きな驚きと悲しみが彼を襲うに違いない。東京で学生生活を送っている二人の子供たちには、どう言おうか。幸い子供たちはもう十分大きく、これから自分の人生をしっかり生きて行けるだろう、しかし、

『夫には』

と、胸中に大きなうねりが音を立てた。

その日、ご主人が帰宅したのは10時を回っていた。変わらぬ優しい笑顔にはどうしても切り出せぬ厚い壁を感じる。スーツの肩に手をかけて、いつものように後ろから脱がせた。長年の習慣とはこんな時にも自然に身体を動かせることを言うのか。しかし心はそこにはなかった。

「お疲れ様」

と思い出したかのように声を何処かから借りてきた。しかしこれが精一杯の言葉だった。

「で、病院はどうだった?」

何もまだ知らないご主人は普段着に手足を通しながらさりげなく言う。そしてやはり、返答はできなかった。その日の朝、出がけに、軽い接待があるので夕食の準備はいらない、と言い残して出たご主人は、またその日一日を某有名企業の取締役として、双肩に重責を担い、会社で責務を取りなす。その張り詰めたある種の緊張が、深く深く和むのが、我が家にたどり着いた瞬間、それも子供たちが東京へ行ってしまった今となっては、長年人生を共に分かち合ってきた伴侶の笑顔に迎え入れられる瞬間こそがその日最大の至福である。

その豊かな余韻を楽しむかのように、ゆったりとソファーに身を沈めてワイングラスを傾けている。夫の満ち足りた姿をややも、正視できない彼女は、リビングに入ることもできぬまま両手で顔を覆って必死で嗚咽を抑えようとした。しかしさすがにその異変に気づいたご主人は立ち上がりながらグラスを置いて駆け寄った。

「どうしたんだ?」

堰を切ったように涙が吹き出した。夫の身体にしがみついて大声で泣いた。そんな彼女をただ力一杯抱きしめ続けてくれた。

「で、先生は何と言った?」

ご主人は全く力を緩めない。

「肺癌ですって。」

微動だにしない夫はしかしその内で必死にその言葉を無毒化しようとしているように思えた。この人の優しさだと彼女は感じだ。

「手術は?」

ああ、ついにここに至ってしまった。崖っぷちに。言わねばならない、やはり言ってしまわねばならないのだ。

「あと、3ヶ月の命ですって。」

夫の体から引き潮のように力が抜けてゆくのがわる。抱き合ったままの二人に深い静寂が降りったった。彼女の全身から絞り出されていた嗚咽もいつしかおさまり、時が止まったかのようだった。

「金に糸目をつけるな。あと3ヶ月間、何でも思いっきり好きなことをしなさい。」

おもむろにご主人は濡れたまつ毛で縁取られた伴侶の瞳を覗き込んでそう言った。その時の思いを葵さんは車中でありありと語った。お客はみんな固唾を飲んで話に聞き入っていた。彼女によれば、

「この人は分かっていたんだ、もう十分に苦しんで、覚悟して、結果を待っていてくれたんだと思ったの。その時なんだか私たち本当に幸せを感じたのよ。この人は本当に私を愛してくれているんだって、今更ながらにはっきりと感じたの。そして今までもそうだったし、これからだってそうなのよ。」

と言ってから、微笑んんだまま話がやんでしまった。素晴らしいお話だが、おそらくこれはまだジエンドではないはずで、さらに展開があるはずで、お客のみんなもそう思っているはずだったが、何ともそれ以上

「それでどうされたのですか」

などと易々とは聞き込めない、冒しがたき沈黙だった。が、やがて少しづつ疑問が湧いてくる。このハワイ島の旅行はそれからどれくらいの時間の上にあるのか、あるいは45歳の時の話であると言う事は、今も40代なのだろうか。おそらく葵さんの話に聞き入っているお客方もそう思っているはずだ。もうすぐ、この世を後にすることを覚悟している人からこうして話を聞いていると言うことなのか。外側の静寂とは裏腹に、かなりの混乱に心は弄ばれた。

「あれからもう10年が経ったのよ」

葵さんは、智美さんともうひとり友人を招待して、北海道へと旅に出た。もちろん二人には事情は話し緊急時の対応も予め話し合った上で。 最初の滞在地、札幌では、同伴の友人の知人が、3名を晩餐会に招いてくれた。

「いらっしゃい!」

とても気さくな明るい婦人は明美さんと言った。某自動車メーカーに勤務されているご主人も朗らかで温厚そうな人だった。久しぶりの再会とあって、あけみさんは少女のようにはしゃいでともみさんん抱きついた。中・高校時代の親友だという。

「はじめまして、三津葉と申します。」

「さあどうぞどうぞ」

初対面とは思えないほどに、あっさりと打ち解けてしまう。社交を超えた暖かさを、この女性に感じた。時の立つのも忘れるほどに楽しい会食。特に智美さんと明美さんの思い出話にはお腹を抱えて笑いが止まらぬようなようなエピソードがひっきりなしに現れる。

明美さんのご主人はこまめによく働く。この時代の要請が産んだ良き夫。お寿司が美味しい、お肉も美味しい、小樽ワインも美味しい、初対面とは決して思えない打ち解けた和やかさが葵さんを包んで、時の立つものも忘れて打ち興じた。しかしふと、まもなく全てが終わるという自分がたったひとりで、会話の狭間に佇んでいた。

「葵さん」

その時、明美さんが呼びかけた。何気に顔を向ける。

「智美から、今回のことは伺っています。」

その言葉には全く悲しみの響きがなかった。同情とか憐憫とか、そう言った悲劇に対しての反射的な感情を全く帯びていなかったので、むしろ葵さんには心地よかった。しかし困ったことに返す言葉が見当たらない。

「葵さんは、聖書をお読みになったことある?」

この後、しばらくやりとりが続いた。ほとんどの日本人同様、葵さんも聖書を読んだことはなかった。不思議なものである。こレほどまでにミッション系の学校がひしめいて、医療関係や福祉施設にもキリスト教団体系のものが多く、また歴史を振り返っても古くは秦氏たちが伝えた景教やザビエル周辺のポルトガルキリシタンそして戦後のアメリカプロテスタントと今まで、キリスト教の布教はことごとく日本全土に及んでいる。今や信教自由の保証がなされた国。靖国神社の正面に日本基督教団もあるくらいだ。ところがキリスト者は依然、全人口の1%に満たない現状。これには決定的な理由があると思う。ここでは書かないが。

多くの若者たちはチャペルでの結婚式を好む。ツアーに迎える新婚カップルも、十中八九尋ねれば、教会結婚である。しかし、神やキリストに誓う愛のわりには、さても聖書を読んだという人には会わない。新たな人生の、最もめでたい門出であるはずの儀式にて、さっそく、嘘をつこうというのか。船出の初っ端から嘘で始めるのか。智美さんの問いかけにその夜なぜか非常に興味を覚えた。

「ほとんどありません、いや、あありません。」

それから2時間ほど、聖書の話が続いた。智美さんとご主人は共にクリスチャンであった。

北海道は、近代において開拓が進んだ土地柄で、厳しい自然環境の中に入植者たちがそれぞれの夢を信じ海を渡り労苦を重ねたところでもあり、内地の様々な文化圏からの入植ということもあって、持ち込まれた統一性に欠ける種々の宗教においては絶対的なものによる統合が渇望されていたのかもしれない。また、プロテスタントによるアメリカ開拓の歴史ににも重なる。さらに札幌農学校の設立当時は、アメリカからの教授陣を招いての学術振興が進められたが、その担い手の多くはプロテスタント宣教師たちでもあった。したがって、特に初期の学風には多分にキリスト教的な匂いが立ち込めて、現在でもその息吹は北海道大学に名を変えたキャンパスに感じ取ることができる。Boys Be Anviciousのクラーク博士などはこと有名であり、その教え子から、新渡戸稲造や内村鑑三といった世界的に名を馳せるキリスト者も現れた。

つまり北海道には、明治期において本州よりもキリスト教の普及が起こりやすい遡上があったわけだ。葵さんは、人生の最後において、まだ全く手付かずのままにしておいたものに出会った気がした。無性に興味が湧いたのである。

結局、お金に糸目をつけない余生であるわけであるからして、明美さんにもそれからの北海道・奔放珍道中に参加してもらうことになったのである。もちろん聖書を携えて。

「二週間、道内の方々を巡ったわ。六月の北海道は新緑がとても綺麗で、温泉も多いし、なんと言っても食べ物が美味しいのよね。そして道中でいろいろなお話を明美さんから聞いたわけ。」

葵さんが、車中のお客方に聞こえるように言う。

「あの旅は、かけがえのない、生命の旅路だったのよ。北海道の雄大な自然の中で、智美さんはわかりやすく、天地創造のお話から、アダムとイブの誕生、失楽園、カインとアベルの事件、ノアの箱舟と大洪水、アブラハムの生涯、イスラエルから12の支族の祖の誕生、モーゼによるエジプトからのユダヤ人救済、ダビデ王 ソロモン王の繁栄とその後の衰退、バビロン捕囚、エルサレムへの帰還、預言され続けた救世主イエスの誕生、宣教、磔刑、死そして復活、12使徒の活躍、異邦人の時代、世界の終末と千年王国の預言、または聖書完成の経緯など、聖書に関してまとまったこんな講義はなかなか聞けません。私のために、わざわざ与えてくださったことを実感したの。そしてね、クリスチャンでもない私なのに、興味津々で聴き飽きないのよね。納得してしまうのです。聖書ってすごい本よ。いえ文字通り神様との契約書ね。」

ここまでくるとに一般の日本人にはちよっときつい感じだが、案外みんな真剣に聞いていることが、ルームミラーで見て取れた。

「そしてとうとう私は、自分の愚かさと罪深さを知りました。そしてそれがもう自分ではどうしょうも拭いようのないことも明らか。夫にお詫びしきれない。神様に申し訳ない。このまま死ぬなんて嫌。でもそこに、グッドニュースなのよ。イエス様がね、私の罪のために十字架で死んでくださってね、父なる創造主の力で復活してくださったのですよ。私と一緒に死んで、私と一緒に永遠の生命へと蘇ってくださっていたの。だから救い主。なんと、信じるだけで私の罪はみな帳消しになるのよ。これが聖書に書かれた何千年も前からの約束なわけ!福音よ!」

葵さんは新約聖書のガラデア人への手紙の一節を口にした。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

さらに、ローマ人への手紙から

もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるでしょう。

  

最近、あの智美さんからメイルが届いた。葵さんは昇天されたと言うことだった。北海道から戻って以来、地元で聖書の勉強会を催すようになって、多くの人とその喜びを分かち合った美津葉葵女史。享年57歳。医師からはなぜ存命しているか分からないと言われ続けたそうだ。葬儀は仏式であったが、その弔問者がなんと300名を超えたと言う。実に余命3ヶ月の宣告から12年後のことであった。

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ポハク西田
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